- 住所:
- 福島県福島市土湯温泉町
- 電話番号:
- 024-595-2217 (土湯温泉観光協会)
- 開門時間:
- 参拝自由
- 休門日:
- なし
- 入門料:
- 無料
- アクセス:
- JR福島駅から福島交通バス(土湯温泉行・45分)「土湯温泉」、徒歩15分
- 駐車場:
- なし
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福島市の西寄りにある吾妻山、その吾妻山のふところに包まれるようにしてあるのが、山あいに静かに佇む温泉地、土湯温泉です。温泉街には水質日本一の清流「荒川」も流れていますし、水芭蕉の開花から始まり、四季折々において花や紅葉が楽しめます。今回は、土湯温泉で人気の観光スポットを15選でご案内します。
聖徳太子堂は、温泉街を流れる荒川沿いに歩いて行くと、左手の山際に見えてきます。
参道となる石段を登って、鐘楼を左側に見ながらかまわず奥に進むと、聖徳太子堂に到着します。
聖徳太子堂は、江戸時代末期に再建されており、安産・育児・学問・建築職人の守護神として、当時より信仰の対象となっています。
太子堂には、何10年かに一度しか開帳されない秘仏として、聖徳太子16歳時の姿を現した福島市指定民俗文化財の「木造聖徳太子立像」が祀られています。
604年、聖徳太子が「国府寺」建設目的のために、秦川勝を東国に遣わされました。
しかし、秦川勝は志半ばにして、重病にかかり伏してしまいます。
ところが、病に苦しんでいる時に、持参した御本尊が夢枕に現れたと言うことです。
御本尊は、信夫郡土湯と言う所に温泉が有るので、そこにて湯治せよとのお告げでした。
そして、秦川勝が温泉を掘って入浴したところ、病気が全快したのです。
そして、夢枕で再び現れ、「私はこの地で諸人の病脳苦難を救う」と告げられたため、この地に聖徳太子から授けられた御本尊をお祀りしたと伝わっています。
薬師こけし堂は、土湯温泉町の聖徳太子堂に境内を構える、御堂をいいます。
薬師如来は医薬を司る仏様、日本各地の温泉地での信仰も多くみられます。
そして、ここ土湯温泉でも、古くから祀られてきました。
聖徳太子堂に参拝をしてから、左手にある石段を上がってくると、薬師こけし堂があります。
薬師こけし堂では、温泉の守護仏・薬師瑠璃光如来様とこけし工人の祖である惟高親王が祀られています。
現在のこけし堂は、昭和49年(1974年)に再建されたものです。
創建当初は、最初に土湯温泉が発見された場所、湯元下ノ町にありました。
大正2年(1913年)の大洪水で大破したため、興徳寺経堂に薬師如来像は移されました。
昭和49年(1964)、興徳寺境内に改めて堂宇を建立、こけし造りの始祖である惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)も祀られたために、薬師こけし堂という名前が付きました。
こけし職人の、技術の向上と精神的な支えの象徴として、建立されたのでしょうね。
御堂は木造平屋建て、宝形造鉄板葺きで、外壁は真壁造り板張りの小さな建物です。
熊野神社は、安永3年(1774年)に、石造りの社殿が造営されました。
しかし、村社となったのは、かなり遅れて、明治11年のことで、村人の信仰の対象となってきました。
朱色に輝く鳥居をくぐって、真っ直ぐに石段を上ってくると、本堂が見えてきます。
熊野神社は、山の守り神が祀られている神社なんです。
土湯というところは、昔から林業に携わることの多い人々が、暮らしていた場所でもあるんです。
そのために、山の神を祀る熊野神社は、人々の熱い信仰の象徴となってきました。
熊野神社の創建は不詳、奈良時代にあった吾妻山の開山の際ではないかと言われています。
後年になって里宮となり、土湯温泉の鎮守として、村人から信仰されるようになりました。
安永3年(1774年)に社殿を造営、明治時代発令の神仏分離令によって、仏教色が取り除かれ、明治11年(1879年)に、村社となりました。
山の神を祀る熊野神社では、毎年の10月15日に例祭が行われています。
境内では、神主が1年の安全を祈って祝詞を読み上げ、町では子供たちが乗った山車が出て、華やかな雰囲気に溢れます。
土湯温泉町にある沼で、水芭蕉の群生地として知られている観光スポットが仁田沼です。
仁田沼は、吾妻連峰の中の標高600mほどの位置にあります。
推定10万株とも言われる水芭蕉の群生地で、毎年の4月中旬~下旬には、仁田沼一面が水芭蕉の白い花で覆われ、素晴らしい光景がみられます。
仁田沼は、「沼」と称されてはいるのですが、水芭蕉が群生していることからもわかるように、「湿原」と言った方が間違いのない表現のようですね。
駐車場から、沼へ向かう道は遊歩道となっていて、その周辺はカタクリの群生地でもあります。
沼の周りには、遊歩道として木道が設置されていて、20分くらいで一周できるんですよ。
仁田沼の近くには男沼と女沼があり、そちらに通じる遊歩道も整備されているので、大勢のハイカーで賑わっています。
仁田沼には、かつて、皇太子ご夫妻も訪れたことがあります。
平成24年「宮中歌会始め」では、皇太子妃雅子殿下が、土湯の水芭蕉の歌を詠まれました。
そのことに感謝そして記念として、足湯「偲いの湯」側に、歌碑が建立されています。
つつじ山公園は、土湯温泉町から車を利用して、10分ほどの距離にあります。
展望台から見下ろす女沼の光景は素晴らしく、写真撮影の絶好のスポットとしても人気があります。
5月中旬~下旬にかけては、つつじが山一面に咲き誇ります。
つつじが咲く丘を登った頂上からは、吾妻連峰が一望できる、雄大な景色が堪能できます。
つつじの満開の時期には、一面に咲くつつじと光が反射する沼との対比が最高に美しいですよ。
秋の季節には、美しく女沼に広がる紅葉も、じっくりと見ることができます。
女沼駐車場の前にある小高い丘には、昔から野生のつつじが群生していることで知られていました。
そのつつじの群生地として、花が咲きやすいように整備して造られたのが、つつじ山公園です。
5月中旬~下旬の頃には、山全体が淡いピンク色に覆われて、素晴らしい景色が見られます。
公園内からは、眼下に広がる女沼や吾妻連邦の山々が一望でき、その光景は感動ものです。
土湯つつじ山公園には、野生のつつじが、なんと1万本も植えられているんですよ。
自然いっぱいの公園ですし、お弁当でも持ってきて、景色を見ながら食べるのも素敵ですね。
思いの滝は、仁田沼から徒歩約30分、女沼から600mほど奥に入ったところにある滝です。
2段になって落下する思いの滝、夏には涼しい風が吹き抜け、休憩には最高のポイントですね。
二筋の滝が折り重なって落下し、周囲の緑との対比も美しく、流れ続けます。
重なる滝には虹がかかることも、マイナスイオンが溢れるおすすめのスポットです。
この滝には、会津落城の際に、若武者が姫様を救い出したのですが、重傷のためこの地で絶命、それを嘆き悲しんだ姫様も滝に身を投げてしまったという悲しい秘話が残っているのです。
土湯温泉街から北に向かって山道を登っていき、男沼・女沼遊歩道の奥にある滝が思いの滝。
徒歩で散策してる方が多いですが、歩くのが苦手なら、急な坂道もあるので車が楽チンですね。
もし、タクシー利用で行かれるのでしたら、帰りの際の連絡には注意です。
携帯が圏外になってしまって、タクシーが呼べない可能性が高いので、かなりの距離を歩くことにも。
仁田沼の駐車場に駐車して30分ほど歩くと、滝を見下ろせる場所に到着できます。
思いの滝は滝つぼも大きくて、なかなかに迫力のある滝。マイナスイオン浴が気持ち良いですね。
土湯湯温泉街から車で約10分&徒歩20分ほどのところにあるのが男沼です。
男沼は紅葉の隠れた名所でもあって、水面に映る見事な紅葉を撮影しようと、大勢の皆さんが訪れています。
安永5年(1776年)の記録では、大同年間の9月10日夜、大雨大風で山津波が発生、川を埋めて大きな沼が2つ出来たとの記載があり、これが男沼・女沼だと言われています。
男沼から仁田沼を抜けて、女沼を結ぶルートが、ハイカーの人気のハイキングコースです。
男沼までの散策路で、水芭蕉の群生地であるあけぼの湿原などは春の人気スポットです。
つつじ山公園のすぐ傍にあって、春の花・夏の水遊び・秋の紅葉・冬の雪景色と。四季を通して楽しめるのが女沼です。
神秘的な雰囲気の男沼に比べ、一面に明るさがあって、開放感に溢れています。
土湯太子堂建立の際、材木運搬の牛車が誤って沼に落ち、そのまま沼の主になった伝説が残っています。
女沼の四季としては、4月には山桜やカタクリの可憐な花々と、すぐ近くにあるつつじ山公園のヤマツツジが楽しめます。
男沼や仁田沼と比べても、駐車場から近いということで人気の高いスポットとなっています。
浄楽園は、福島市の市街地から西に約9km離れた、吾妻山の山裾に位置しています。
室町時代の趣をそのままに造り上げた、池泉廻遊式庭園が浄楽園です。
園内は、京都市の金閣寺の庭を手掛けた庭師によって、10年以上をかけて造られました。
広大な敷地には、アヤメ・ハナショウブ・スイレン・シャクナゲなどの花々が咲いています。
浄楽園の施設内には、茶屋も併設されていますので、お茶や軽食が取れ休憩もOKですね。
東の花見山・西の浄楽園と称され、福島を代表する私有地にある観光スポットなんです。
秀峯吾妻連峰の四季を背景に取り入れた浄楽園は、全てにバランスの取れた水と緑が織り成す、純日本庭園として知られています。
総面積約25000㎡の敷地に、一流庭師により長期の歳月を経て完成された、赤松・五葉松・石を主体にした、池泉廻遊式純日本庭園です。
室町時代の雰囲気を感じられる池泉廻遊式庭園で、春の梅や桜から・初夏のアヤメ・秋の紅葉まで、野鳥の声に耳を傾けながら、四季折々の美しい自然の景観を鑑賞することができます。
滝のつり橋は、土湯温泉街の観光名所の1つです。
平成18年11月に開通、長さが58m・高さが15mの吊り橋です。
滝のつり橋からの景色は、森の中の夏の新緑や秋の紅葉が、存分に楽しめます。
滝のつり橋、「滝の」となっているのですが、特に滝を見るための吊り橋ではないようです。
土湯の温泉街からも近いので、散策がてらに訪れて、マイナスイオンをたっぷり吸収しましょう。
土湯温泉観光協会から吊り橋までの途中に、足湯「土ゆっこ」もあるので、休憩もOKですね。
滝の吊り橋と言われる滝の部分ですが、吊り橋からちょこっとだけ下流に小さな砂防ダムがあります。
そこから流れ落ちる水が、滝の感じに限りなく近いんです。
一般にダムというと、コンクリートの塊で、風情も何もあったものではありません。
でも、ここの砂防ダムでは、外面を原寸大のでこぼこの岩に似せて造った擬岩なんです。
ですので、一見自然の岩場を流れ落ちる滝のようで、周囲の自然に溶け込んでいますね。
ダムまでの遊歩道も整備されていますし、土湯温泉街からゆっくり歩いても10分ほど。散策コースとしてもおすすめです。
土湯伝承館は、様々な時代の土湯こけしや、他系統のこけしなど約800体が展示されています。
更には、土湯こけしだけでなく、各地のこけしも見ることができます。
土湯温泉は、日本有数のこけしの里、優しく温かい表情のこけしと触れ合ってみてください。
土湯伝承館内において、たくさんのこけしに囲まれての一休みはいかがでしょうか。
こけし工房も併設しているので、うまく時間さえ合えば、工人さんの作業風景も見られます。
椅子やテーブルも設置してあるので、街歩きの休憩スペースとしての利用もOKですよ。
遠刈田・鳴子と並んで、土湯温泉も三大こけしの発祥地なんです。
こけし工人の手によって、普通の木の塊に命が吹き込まれていくのですね。
削られ・磨かれ・描かれることによって、少しずつ生命が芽生え、美しくて優しい表情のこけしが誕生するのです。
木地職人の技術が土湯温泉に伝わった由来、いくつかの説があるのですが、定かではありません。
自分を見てくれている人を、優しく見つめ返しているような独特の表情、そして、素朴な木の手触りが心地良い「土湯こけし」は、昔から変わることなく、多くの人々の心を和ませてくれているのです。
六地蔵、六体のお地蔵様のことで、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」の六道の苦しみから、人々を救ってくださいます。
土湯温泉の六地蔵は、村人の皆さんが建立したものなのですが、明治維新の神仏分離の災難に巻き込まれたために埋められてしまい、人々からは忘れられた存在となっていました。
昭和47年、発掘作業が行われたのですが、あまりに損傷が激しかったので、昭和63年に新しく六地蔵が建立されたのです。
それによって、現在では、2つの六地蔵を見ることができるんです。
六道の苦しみから、人々を救う六体のお地蔵さまです。
奥にある方のお地蔵さまが、神仏分離の難で埋められ、偶然に発掘されたものです。
新しい六地蔵は、昭和63年に開眼式が行われました。
六地蔵の建立年は、今となっては不明なのですが、江戸時代中期の明和3年(1766年)には、確認されているので、信仰はもっと前からあったのでしょうね。
明治時代初頭に神仏分離令の後に吹き荒れた廃仏毀釈運動、多くの仏像や石仏が破棄された時期なのですが、土湯の六地蔵もこの頃に、土中に埋められたようです。
照南湖ビオパークは、大人も子供も楽しめる、自然に溢れる公園です。
フランス画家モネの絵を連想してしまうような、スイレンの群生が見られる里山の湖です。
6月中旬~9月上旬頃までがスイレンの最盛期です。
この時期になると、500本近くある様々な色のスイレンが、湖面で咲き誇ります。
そっと湖の中を覗くと、フナやメダカやイモリなどが泳いでいて、湖面においてはスイレンの花、そして湖上では何種類ものトンボが飛び交っている光景、モネの絵画そのままですね。
照南湖は、昭和40年代初期まで、天然のスケート場として賑わっていました。
しかし、地球温暖化の影響なのか湖面に氷が張らなくなってしまい、スケート場も閉園、その後は長年に渡り放置されていたのです。
その後、土湯温泉観光まちづくり協議会や土湯温泉観光協会などにより企画、開発がされて、現在の姿となっています。
「ビオパーク」とは、照南湖を里山湖として保護することによって、自然や昆虫に触れ合うことができる公園のことです。
毎日、たくさんのカメラマンが訪れる、観光スポットでもあるんですよ。
土湯温泉町から旧115号線を車で15分程走った場所にあるのが、ヒメサユリの里です。
こちらでは、日本一のヒメサユリの里を目指して、地元の皆さんが丹精込めて育てている、花の名所なんですよ。
山の上にあるので、晴れた日には吾妻連峰が見渡せる、雄大な景色が見られます。。
ただし、雨天や強風などの悪天候の場合、閉園の可能性もあるので、事前にお問合せください。
閉園した際には、動物避けの電気柵があり、中には入れませんのでご注意を。
日本一のヒメサユリの里を目標に、土湯の住民の皆さんが栽培した、ヒメサユリが見られます。
ヒメサユリは、5月下旬~6月上旬にかけてが最盛期で、可憐で美しいユリです。
乙女百合との別名を持つヒメサユリ、淡紅色の可憐なユリたちが山肌を覆って、爽やかな風に揺れる姿を見ていると、心も落ち着き感動してしまいますね。
照南湖もすぐ近くにあるので、季節が合えばスイレンと合わせての見学が良いですね。
訪問の際には、かぶれ防止に長袖を着用して、歩きやすいスニーカーを準備しましょう。
福島市民家園では、江戸時代~明治時代の文化が感じられる施設です。
福島市民家園は、「県あづま総合運動公園」敷地内において、昭和57年8月に開園しました。
敷地約110000㎡もある広大な園内には、江戸時代中期頃から明治時代中期にかけて、福島県北地方の民家を中心に、会津地方に実際に建っていた民家・芝居小屋・商人宿・料亭・板倉などの建物を移築復元して、当時の面影を再現しています。
また、季節によって、体験行事なども催されていますので、ご家族で参加されてはいかがでしょう。
福島市民家園内には、展示館も整備されており、生活用具などの資料についても、各民家内や展示館内で、保存・展示されています。
四季折々には、その時節に沿った様々な年中行事を再現したり、民具製作の実演などを行って、祖先の暮らしを身近に感じてもらえるようなイベントも開催しています。
展示館の常設展示では、「民家の民俗」をテーマに民家建築と儀礼・屋敷の暮らしを分かりやすく展示している他、旧小野家の屋根木組み複製や旧奈良輪家の部分複製なども見学できます。
クマガイソウは、人気の高い野草だったために、園芸採取が激しくなり、自生地が激減しました。
国・福島県では、絶滅危惧種に指定しているお花なんですよ。
長きに渡って地元の皆さんに愛され見守られてきた、水原地区のクマガイソウなのですが、近年の乱獲の被害に巻き込まれたため、危機感を持った有志の皆さんが、平成15年「水原の自然を守る会」を発足しました。
一人でも多くの人々に、幻の花となりつつあるクマガイソウの保護や、水原地区の豊かな自然を大切にする心を広げるため、毎年「クマガイソウの里まつり」を開催しています。
クマガイソウは、ラン科の多年草で、網目になった袋状の花弁が特徴の薄紫色の花です。
スギ林の斜面に自生している約15000株のクマガイソウ、次々と花を咲かせる姿は、幻想的な美しさに溢れます。
昔、源氏の武将であった熊谷直実(くまがいなおざね)が、矢を防ぐために背負っていた布の袋(ホロ)に形が似ていることから、この名が付いたそうで、別名で「ホロカケソウ」とも呼ばれてるんですよ。
野生のものは、年々減少しているのですが、福島水原地のクマガイソウは、日本全国でも3ヶ所しかないと言われるほどの大群生地です。
今回は、福島県の温泉地、土湯温泉のおすすめ観光スポットを15選でご案内しました。
いかがでしたか。今後の参考になりましたか。
土湯温泉は、磐梯朝日国立公園内にある、山あいの温泉地、泉質も無色透明の単純泉や炭酸水素塩泉の他、豊富な種類を誇っています。
温泉街から、車で30分ほど行ったところに位置する土湯峠温泉郷では、白濁の硫黄泉や酸性緑礬泉などの泉質が湧き出しており、様々な泉質の温泉めぐりが楽しめますね。
春になると、水芭蕉やカタクリの花がところ狭しと咲き誇り、例年大勢の観光客が訪れています。
ベトナムのホーチミン市に住んでいます。在住歴は6年半です。ベトナム人ばかりのローカル地区で、愛犬&愛猫と一緒に生活しています。大陸の風に吹かれて、のんびり自分らしくの毎日です。
こけしの生まれ故郷として有名な福島市内にある土湯温泉。安達太良山連峰の中腹付近に位置し、昔から宿場町と多くの人達が出入りしていました。今回は、そんな土湯温泉郷にある、素敵な温泉がおすすめの温泉宿を紹介したいと思います。
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