- 住所:
- Yeni Mahallesi Sahil Sokak Nevşehir
- 営業時間:
- 8:00~17:00
- 日曜日休館
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外国人観光客はほぼいないネヴシェヒルですが、このダーマット・イブラヒム・パシャ・キュリエシには、ときどきトルコ人観光客が訪れています。これは290年前のオスマン帝国時代のモスクを中心とした学校や図書館、ハマム(トルコ式蒸風呂)などの施設の集まりです。 ここをつくった人の名前からダーマット・イブラヒム・パシャ・キュリエシと呼ばれています。
イブラヒムが名前、パシャがオスマン帝国時代の高官の称号です。
ダーマットは婿という意味で、スルタン・アフメット三世の娘ファトマ・スルタンと結婚したため、ダーマットと呼ばれています。イブラヒムは56歳ごろ、ファトマは14歳でした。
ファトマは5歳のときに前の宰相シラフダル・メフメッド・パシャと結婚しましたが、メフメッドはファトマが12歳のときに戦争で亡くなりました。
イブラヒムはネヴシェヒルの領主アリ・アーの家に生まれ、仕事を探しにイスタンブールへ行きました。
その後、ムスタファ・エフェンディという友人の紹介で宮廷に仕えるようになりました。
ファトマと結婚した後に、スルタンの元で宮廷で国政を担当する宰相になりました。
イブラヒム・パシャは、当時ムシュカラという名前で18世帯ほどしかなかった村を、ネヴシェヒルという名前に変えました。
住民の税金は自分の財団から支払い、ユルギュップで開催されていた市場をネヴシェヒルに移動。
またトルクメン人移民を受け入れ、自由を与えました。
イスラム教の教育や水道問題にも力を入れ、廃墟同然だったネヴシェヒル城も修復。
ネヴシェヒルに訪れた人には無料でスープを配ったそうです。
この人がいなければ、今の県都はネヴシェヒルでなく、あるいはユルギュップだったかもしれません。
彼は69歳ごろに政権争いでパトロナ・ハリルという人物によって暗殺され、スルタン・アフメット3世も失脚しました。
1726年から1727年にできた複合施設で、モスク、大学、宗教学校、食堂、ハマム、キャラバンサライなどで構成され、すべて歩いて行ける距離にあります。
現在も一般市民に開放されています。
メドレッセと呼ばれるイスラム教学院(現在の大学)があった場所は、現在図書館になっています。(当時も大学には図書館が設けられていました)
17の個室でできていて、4万冊以上の本があるそうです。トルコ語の本の他に、アラビア語、ペルシア語、オスマン語の本もあります。
図書館は本を借りる人よりも受験勉強をする学生が集まっています。
他では見られないような手書きの本も残っています。
現在は施錠されていますが、図書館の隣(南)には学生、旅行者や貧しい人に無料で食事を配る食堂がありました。
一時期は刑務所として、1949年からは博物館として使われましたが、現在博物館は別の場所に移動しています。
食堂と同じ敷地内に宗教学校がありました。
現在もクルシュンル・モスクの下には宗教学校があり、平日や夏休みに子どもや女性が通っています。
1943年に修理され、現在も普通に使用されています。
毎日6時から0時まで営業しています。普段は男性だけですが、水曜日の10時から16時までは女性専用になっていて、女性のマッサージ師がいるそうです。
入場は20リラ、垢すり10リラ、マッサージ10リラです。
モスクの下には商人や学生が宿泊するキャラバンサライがありました。
現在は使用されていません。
水が出る場所も2つ設置されました。
ひとつはモスクの壁に、もうひとつは宗教学校の壁につくられています。
1726年に完成したモスクで、本堂のドームが鉛で覆われているため、クルシュンル(鉛の)という名前が付けられています。
モスクの庭への入り口は3つ。
中に入りきれない場合は、外でお祈りできるようにマットが置かれています。
亡くなった方の名前や年齢、住所などを書き込む場所。棺を運び込み、モスクで故人への祈りを捧げます。
お祈り前に体を洗い清める場所です。
モスクの入り口には靴箱があり、靴を脱いで中に入ります。
穴が開いた方角がキブラ(メッカのカアバ神殿の方向)です。
この穴でホジャがお祈りします。
モスクの内部は花模様で飾られています。
金曜日の礼拝の途中、ホジャがここに上ってお話しをします。
金曜日の礼拝前や他の日は、ホジャがここでお話しをします。
2階は女性がお祈りする場所になっています。
この急な階段を上がって2階へ向かいます。
いかがでしたか?
トルコには歴史物語のある建物がたくさん残されています。何もないような小さな町や村にも歴史の跡を見つけることができます。
トルコ旅行中は、注意して探してみてはどうでしょう。
トルコのカッパドキアで7人の子供たちと生活しています。
トルコの博物館は入場料が高めですが、ネヴシェヒル博物館は無料で開放されています。 ですが、ネヴシェヒルのメイン道路をちょっと入った目立たない場所にあるためか、博物館を訪れる人は1日に20~40人。ゆっくりじっくりと見ることができます。
ネヴシェヒルのバスターミナルから車で5分のところにある戦没者公園は2006年のトルコの勝利記念日の8月30日にオープンしました。 バスでネヴシェヒルからギョレメや他の町へ移動する際に、トルコ国旗がいくつも翻る公園を見たら、そこが戦没者公園です。
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