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ネヴシェヒルのバスターミナルから車で5分のところにある戦没者公園は2006年のトルコの勝利記念日の8月30日にオープンしました。 バスでネヴシェヒルからギョレメや他の町へ移動する際に、トルコ国旗がいくつも翻る公園を見たら、そこが戦没者公園です。
公園にはトルコ共和国の初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクを中心にフン帝国からオスマン帝国までのトルコの歴代16帝国のリーダーの半身像が並べられ、それぞれについて短い説明書きが添えられています。また、半身像の後ろには各帝国の旗が掲げられています。
最近の、ネヴシェヒル戦没者リストではチャナッカレ戦争で亡くなった、ネヴシェヒル出身者は769人となっています。その戦没者の名前が刻まれた碑があります。
チャナッカレには戦没者それぞれの名前、生まれた年、亡くなった年齢が描かれた碑があります。当時は健康な若い男性はすべて戦争へ行き、まだ小さな子供たちも参加しました。そして、その多くが帰らぬ人となりました。
その頃は生まれた年や日を正確に申告していなかったので、正確なことは分かりませんが、ネヴシェヒルからは12歳の子供も参加したそうで、筆者の義祖父は9歳だったので、参加しなくてすんだそうです。
チャナッカレ戦没者の名前が描かれた碑の前には大砲の弾が飾られています。
岩の上の大きな国旗の周りには近年国のためになくなった人の数の110ほどの国旗が並んでいます。
警察官や軍など国のためになくなった人のお墓があります。
墓には出身地、名前、生まれた年と亡くなった年が刻まれています。
トルコでは現在でも、多くの人が国を守るためになくなっています。そのため、お墓は増え続けています。
警察として、軍人として、市民として国のために死ぬことは、単に亡くなることとは区別され、シェヒットと呼ばれ名誉のあることだと考えられています。
2016年7月15日のクーデター未遂事件でもトルコで240人の人が亡くなりました。
ネヴシェヒルではこの事件でシェヒットとなった人の名前があちこちの公園や道に付けられました。シェヒットは死なないと言われていますが、公園や道に名前が付けられることにより、人々に忘れられずに生き続けることになります。
トルコ人にとって、国旗は大切なものです。地べたに置くのは、気が引ける人がほとんどです。トルコが自分たちの国であるという意識も高く、子供のころから愛国心が培われています。
戦没者公園には、トルコ国旗の並び、シェヒットとトルコ国家の強いつながりを感じることができます。
トルコのカッパドキアで7人の子供たちと生活しています。
トルコの博物館は入場料が高めですが、ネヴシェヒル博物館は無料で開放されています。 ですが、ネヴシェヒルのメイン道路をちょっと入った目立たない場所にあるためか、博物館を訪れる人は1日に20~40人。ゆっくりじっくりと見ることができます。
ネヴシェヒルのバスターミナルから車で5分のところにある戦没者公園は2006年のトルコの勝利記念日の8月30日にオープンしました。 バスでネヴシェヒルからギョレメや他の町へ移動する際に、トルコ国旗がいくつも翻る公園を見たら、そこが戦没者公園です。
トルコの博物館は入場料が高めですが、ネヴシェヒル博物館は無料で開放されています。 ですが、ネヴシェヒルのメイン道路をちょっと入った目立たない場所にあるためか、博物館を訪れる人は1日に20~40人。ゆっくりじっくりと見ることができます。
外国人観光客はほぼいないネヴシェヒルですが、このダーマット・イブラヒム・パシャ・キュリエシには、ときどきトルコ人観光客が訪れています。これは290年前のオスマン帝国時代のモスクを中心とした学校や図書館、ハマム(トルコ式蒸風呂)などの施設の集まりです。 ここをつくった人の名前からダーマット・イブラヒム・パシャ・キュリエシと呼ばれています。