- 住所:
- 和歌山県田辺市龍神村龍神37
- 営業時間:
- 07:00~21:00
- 電話番号:
- 0739-79-0726
- 営業時間:
- (6月~9月)6時~
- 休業日:
- 年中無休
- アクセス:
- 湯浅御坊道路吉備ICよりR424経由、龍神村方面へ1時間40分
龍神温泉は、和歌山県田辺市龍神村にある温泉で、美肌に効果の高い泉質のため、日本三美人の湯のひとつとして知られています。清流・日高川や護摩壇山に小森谷渓谷などの自然に溢れ、数多くの伝説や逸話が伝わる歴史の場所でもあります。今回は、大自然の中に佇む魅力的な温泉と歴史が共存する村、龍神温泉の周辺スポットのご案内です。
和歌山県にある龍神温泉は、高野龍神国定公園にあって、日高川沿いに位置する温泉郷です。
島根県の湯の川温泉、群馬県の川中温泉と並んで、日本三美人の湯として名高いですね。
日帰り温泉として利用するお客様も多い元湯は、源泉掛け流しの共同浴場として人気があります。
お湯も、毎日入れ替えられ、元湯を訪れる皆さんが気持ちよく入浴できるよう整備されています。
泉質はナトリウム炭酸水素塩泉(重曹泉)。お肌がツルツルになって、更にしっとり感が得られます。
美人の湯で知られている龍神の湯の効能は、冷え性、神経痛、肩こり等に効果があります。
元湯に完備されている内湯には、大勢でも一度に入浴ができる、檜風呂と岩風呂があります。
更には、もちろんの露天風呂もあるのですが、お湯に浸かりながら眺める渓流の景色は申し分なく、
夜になれば星空を眺めながら入浴ができ、川のせせらぎに包まれます。
元湯で湧き出ている龍神の温泉は、実際に浸かってみるとわかりますが、泉質が良質であるため、本当にお肌がスベスベになることが実感できる、美人の湯の名に恥じぬ温泉です。
元湯は夜9時までの営業ですので、紀南の観光帰りや日高川での渓流釣りの帰りに、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
丹生ヤマセミ温泉館は、紀州の秘湯とも呼ばれる、平成13年に開設をされた交流施設です。
建物の外観は、和風の雰囲気に溢れ、建材には地元の龍神材をふんだんに使っています。
丹生ヤマセミ温泉館は、周囲を大自然に覆われた、清流丹生ノ川沿いにある「森林公園丹生ヤマセミの郷」の施設内にあります。
こちらの温泉館のお湯は、アルカリ性単純温泉で、美人をつくる美白湯で名高い丹生ノ川温泉から引泉しています。
館内には、内風呂と露天風呂があって、清流丹生ノ川と熊野の山々を一望できる露天風呂では、四季折々の美しさが堪能できます。
丹生ヤマセミの郷内には、キャンプ場も作られていますので、ご家族で楽しむのも良いですね。
丹生ヤマセミ温泉館は、元々学校があったところで、校舎やグランドなどの施設を利用して作られました。
平成13年にオープンした、紀州でも最も新しい温泉の一つなんですよ。
施設で楽しむのもよし、周辺のドライブの帰りに立ち寄って日帰り温泉でリラックスも素敵ですね。
丹生ヤマセミ温泉館にある、開放感が満点の露天風呂で、心身ともに自分を癒してください。
そして、その後は、休憩室で誰に気兼ねすることなくゴロンと横になって、ゆっくりとくつろぎましょう。
龍神村の山並みは、護摩壇山を中心にして原生林の大樹海を持ち、数多くの伝説や逸話を残しています。
護摩壇山は、源平に敗れて落ち延びた平家の平維盛が、護摩木を焚いて平家の運命を占ったといわれている山です。
護摩壇山の山頂近くには、ごまさんスカイタワーがあり、護摩木を積み上げた形の塔がユニークです。
ここからの眺望は、360度の大パノラマで、息を呑むような素晴らしい景色を見ることができます。
そして、晴れている日の展望台からの眺望は、紀伊水から四国の山々までもを見ることができ、まさに護摩壇山は紀州の屋根と呼ばれているということを、実感できるスポットです。
護摩壇山の南斜面に向かうと、ブナ・ミズナラがメインとなる原生林が広がっています。
この原生林の中に、休日になると家族連れで賑わう、護摩壇山森林公園ワイルドライフがあるんです。
ここでは、大いなる自然の中で数多くの野鳥や獣などの野生動物が暮らしています。
護摩壇山森林公園ワイルドライフでは、その動物たちを観察できるスポットがあります。
更には、60000本の日本一のしゃくなげ園など、自然と思いっきり親しめる施設が整っているんです。
林間広場では、軽食も取れる土産物販売所があったり、野外ステージではイベントも開催されたりします。
小森谷渓谷は、和歌山県内では最高峰の龍神岳(1382m)付近を流れる、日高川源流域にあります。
龍神温泉の北約6kmの地点にあるのが小森谷渓谷、平維盛が隠れ住んだと言われる屋敷跡や、たくさんの滝や渓流をあちらこちらで見ることができます。
秋は、紅葉の名所としても名高く、約1万本の紅葉を眺めながら、小森谷自然歩道やハイキングも楽しめ、多くの紅葉狩り目的の観光客の皆さんが訪れます。
また、紅葉が美しいと言うことは、新緑も素晴らしいということで、渓流で涼を取りながらの散策も気持ちが良いものです。
この渓谷には、多くの自然林が残る他、小森谷渓谷に伝わる悲しい逸話があります。
平清盛の孫である平維盛(たいらのこれもり)は、屋島の合戦から逃げ延び、家来の衛門と嘉門を連れ小森谷渓谷に隠れ住んだのですが、平家の滅亡を知り、那智の海に身を投じました。
これを聞いた衛門と嘉門も渓谷に投身、現在でも「衛門の滝」と「嘉門の滝」として名を残しています。
更に、維盛の恋人、村娘だったお万も投身自殺を図り、もう化粧もいらぬと流したお粉で川底が白く染まり「白壺」に、紅を溶かしたところは「赤壺」といわれ、今も染まったままです。
そして、お万が身を投げた淵も、今でもお万が淵として残っているのです。
果無山脈(はてなしさんみゃく)は、和歌山県と奈良県の県境沿いにあり、紀伊半島の中央部に位置する山脈で、最高地点は冷水山の1262mです。
果無山脈の山々は、冷水山のように最高地点でも1000mを少し超える程度なのですが、それでも果無という名が付いたのは、行けども行けども果てなく山道が続く様子からだと言われているそうです。
現在では、日帰りや1.2泊で走破するトレッキングのコースとして、多くの皆さんが訪れています。
昔は、生活道路としても利用されていたようですが、大正時代にプロペラ船が就航して、人の波も減り、更には昭和30年代に国道が開通して、生活道路としての役目が終わったそうです。
トレッキングコースの中でも、「果無越え」のルートは、人気のあるコースとなっています。
十津川温泉からスタートして、果無集落まで、急な上り坂を休み休み進んで行きましょう。
約40分程で、「天空の郷」と呼ばれる、絶景が見られる果無集落に到着します。
日本の生活風景が残っている集落で、タイムスリップしたかのような、のどかな雰囲気に浸れます。
果無集落から更に40分程で、雨水だけを頼りに稲作をしたと言われる「天水田跡」に到着です。
このように、日本の原風景が未だに残っているスポットが、次々に現れる素敵なコースです。
文久3年(1863年)、尊皇倒幕を掲げて決起した、勤王の志士たちの一団を天誅組と呼びます。
天誅組は、信念の基に闘いましたが敗北して、幕府軍から追われる立場になってしまいます。
水郡長雄(にごりながお)をはじめとする8名は、再起を信じて潜んでいましたが、このままで終わってしまうのなら、せめて天誅組の精神を天下に示そうと覚悟し、自首をしました。
自首を受けた紀州藩小又川駐屯隊長の吉本任は、彼らの心意気に感服していました。
農家の米倉に幽閉された一行に、酒を運ばせたり負傷者の治療をしたりして、護送までの2日間、手厚く保護をしたそうです。
倉は昭和39年に降った大雨で倒壊してしまいましたが、その後復元され、天誅倉と名付けられて、和歌山県の指定文化財となっています。
天誅倉の中には、天誅組が歩んだ軌跡の資料やビデオ上映、模型などが展示されています。
水郡長雄が、自らの血で書き残した辞世の句、「皇国のためにぞつくす真心は神や知るらん知る人ぞ知る」の複製も見ることができ、若し天誅組の志士たちの無念の気持ちが覗えますね。
天誅組をご存知の方は少ないかもしれませんが、歴史上現れて消えた、若者の一途さを感じてみませんか。
温泉宿泊施設の季楽里龍神の正面に位置する曼荼羅美術館には、チベット・ネパール・インドなどから集められた曼荼羅(仏様たちが描かれた絵)が百数十点展示されています。
館内には、ダライ・ラマとともにチベットからインドへ渡った僧たちが持っていた、曼荼羅や仏像・仏画が展示されており、中には700年前の貴重な曼荼羅も含まれています。
戦火を逃れてインドに渡ったチベットの僧たちから、極彩色で細部にまで技巧を生かし素晴らしく描かれたチベットの曼荼羅や仏画などが日本へもたらされ、この曼荼羅美術館で展示されています。
龍神村曼荼羅美術館では、曼荼羅などの貴重な仏教資料を収蔵公開する施設です。
館内では、畳が敷かれた広間でくつろぎながら、ゆっくりと観賞することができます。
曼荼羅美術館は、温泉宿泊施設の季楽里龍神のすぐ近くでもあるため、龍神温泉に来て、龍神のお湯に浸ってリラックスする前でも後でも、気軽に立ち寄れるスポットですね。
現在の美術館の主体は、寄贈後田辺市となり、季楽里が運営委託を受けて管理をしています。
美術館への入場においては、その場で招待券がいただけますので、招待者=無料となるんですよ。
曼陀羅の滝は、温泉寺の前を通り抜けて裏手の山へ、急な坂道の遊歩道を約600m上ったところにある、白糸が流れるような優しい雰囲気に溢れた、マイナスイオンたっぷりの滝です。
滝に向かう坂道は結構きついのですが、路面は茶色く舗装されていて歩きやすいですし、途中には休憩所も置かれていますので、急がずにゆっくりと上って行きましょう。
弘仁年間、弘法大師に難蛇龍王からお告げがあり、そのために当地を訪れ、この滝を見つけた時に命名されたのが曼陀羅の滝の由来だそうで、弘法大師の修行の場でもあったそうです。
曼陀羅の滝は、中里介山の小説「大菩薩峠」の舞台になったことで有名になりました。
「大菩薩峠」(だいぼさつとうげ)は、1913年~1941年に数社の新聞に連載された、41巻にのぼる未完の長編時代小説で、昔はテレビの放送でも、定番の時代劇の演目でした。
そこで、主人公の机龍之介(つくえりゅうのすけ)が、敵の火薬弾によって失明寸前の時、この滝で洗眼し治療した結果、全治したという場面があります。
もちろん、「大菩薩峠」はフィクションなのですが、それに関する碑が滝のそばにあるんですよ。
温泉寺は、龍神温泉元湯前を通り過ぎたところの高台に建つ、由緒ある寺院です。
弘法大師が、開湯の折りに瑠璃光薬師如来を安置した草庵がはじまりとなっているそうです。
宝永2年(1705)、明算という僧侶が、腫れ物を治した礼に薬師堂を再建したと伝わっています。
温泉寺の創建当時では、神湯寺と呼ばれていましたが、出火に伴って焼失してしまっていました。
しかし、長い年月が経った後の昭和59年(1984)に再建され、温泉寺と改名された次第です。
龍神温泉元湯から徒歩1分と、階段を上がってすぐなので、入湯の際には寄ってみたいお寺ですね。
温泉寺のある龍神温泉、普通なら「龍」のつく地名には、なにかしらの伝説などがあるものですが、この地には龍にまつわる逸話的なものなど、何も無いのが不思議なんですよね。
それに、日本には数多く温泉があるのに、同じ泉質でも3ケ所だけが美人の湯というのも不思議です。
実は、龍神村には龍に関わる伝説や逸話が無くても、楊貴妃伝説というものが存在しています。
隠れた歴史の事実として、もし楊貴妃が来ていたのなら、龍神(柳人)の名前も美人の湯も納得ができるかもしれませんね。
温泉神社の由来は、概ね間違っていないとしても、龍神村の由来は大きく異なっているのかもしれず、それはそれでロマンがあって楽しいですね。
皆瀬神社は、龍神温泉の近くに静かに佇んでいる、失敗から立ち直りたい人に癒しを与える神社。リフレッシュや失恋・失敗からの立ち直りの御利益がいただけます。
龍神氏10代当主龍神正直が、永禄2年(1458年)に神社の建設を請願し、文明年間(1469年から1486年)に跡継ぎだった龍神正氏が、八幡大明神を御祭神とする社殿を建立しました。
明治42年、日本全国に発令された神社合祀令によって、旧龍神地区の約20社が合祀されました。
龍神氏の起こりは、治承4年(1180年)に源頼政の五男源頼氏が、日高川最上流の部落に落ちのびて、住み着いたことが始まりのようです。
毎年の11月3日には、皆瀬神社の祭典が行われます。
なんと言ってもクライマックスに相応しいのが大太鼓の連打。激しく打ち鳴らされた大太鼓が、護摩壇山の冷気を震わすほどに響き渡る様が素晴らしいです。
更に11月3日の例祭の日には、獅子舞が民家を訪れ、厄を落として回ります。
杉の巨木が囲む荘厳な雰囲気に包まれている境内では湧水があり、失恋や失敗から立ち直ることのできる癒しがいただけるパワースポットとしてもよく知られています。
鶴ヶ城(つるがじょう)は、日高川本流と丹生ノ川の合流地点に当る山頂に、元弘3年(1333年)玉置直虎(下野守直虎)の山城として築城されました。
玉置氏第11代当主玉置惣左衛門太夫の時、天正13年(1585年)に豊臣秀吉軍に攻撃されて落城しました。
鶴ヶ城跡に関しては、現在発掘調査中で、今後の学術調査が期待されています。
鶴ヶ城の関連史跡としては、出城であった「鳶ノ串」、家臣が居城していた「鏡ヶ城跡」と「平ヶ城跡」・「松本氏居屋敷跡」・「殿屋敷跡」などがあります。
鶴ヶ城は、紀伊国(現・和歌山県田辺市龍神村東)にあった日本のお城で、別名は増賀城でした。
南北朝時代に、鶴ヶ城の築城をした玉置氏は、紀伊国日高地方に勢力を持ち、この時玉置直虎は北朝方に属して戦功を上げ、日高郡山地荘を得た際に鶴ヶ城を築いて居城としました。
手取城を居城とした玉置氏を和佐玉置氏、鶴ヶ城の方の玉置氏は山地玉置氏と称されています。
玉置直虎の死後は、息子であった玉置上野が受け継ぎ代々の居城としていたのですが、和佐玉置氏が没落した頃に、同じように山地玉置氏も衰退して、城は廃城になってしまったようです。
鶴ヶ城は山城で、現在では、遺構としての石垣と堀の跡が残されています。
源頼朝の側近、安達(足立)籐九郎盛長の墓所に、寄り添うようにそびえているのが、椿の大木です。
安達(足立)籐九郎盛長は、頼朝が亡くなった後に、実子の安達景盛に全ての家督を譲り渡して、自らは佛門に入り、鎌倉には戻ることなく、龍神村殿原に居住して人生の最後を迎えたのでした。
この墓所にある椿は、樹齢690年以上と言われる、見事な大木です。
しかし、長く風雪に堪え忍んできた椿の大木も、近年ではその勢いがなくなってきたように感じます。
何らかの手段を講じてでも、樹勢の回復を果たして、更なる地域の歴史を見守っていって欲しいものです。
安達(足立)籐九郎盛長は、源頼朝再起の影の最大の功労者と言っても良い人物で、文覚和尚の指導の下、頼朝の側近として忠誠を尽くし、外交にも長けたものがあったそうです。
頼朝は、建久10年(1199年)の正月、死因は不明のままなのですが、急死してしまいました。
頭領の死をきっかけにして佛門に入り、高野入道蓮西法師となって、最後まで西牟婁郡白浜や龍神村殿原に居住し続けました。
この墓所にある樹齢690年余の椿の大木は、その全てを見守っていたのでしょうね。
椿の木は、地上95cmの位置で幹が三本に分かれていて、幹周りは2m27cm・樹高7m余・樹幅9m余と堂々たる姿で、時期には紅色の小花を付けますので、一見の価値がありますね。
治承4年(1180年)、源頼政の五男だった源頼氏が、宇治川の戦いに敗れた後、日高川の上流に落ち延びて館を構えました。
その源頼氏が、治承年間(1177~1181年)に、創建した神社が八幡社です。
八幡社は、平成11年の大改修によって、当時の姿に復元されました。
龍神氏土居跡と呼ばれる遺構は、頼氏の居住地跡のことですし、大乗妙典・一石一字塔(1820年)も、地域で管理されています。
更に、八幡社のある地域には、永享12年(1440年)建立の龍神和泉守(龍神氏八代当主)の墓標と言われる五輪塔や龍神氏土居跡と龍神和泉守墓石などの遺構・史跡が多く残っています。
八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)は日本で信仰される神様のことで、清和源氏や桓武平氏などの武家より、武運の神様(武神)として崇拝をされていました。
また、早い時期から神仏習合が行われて、八幡大菩薩と称され、神社の中に神宮寺が作られています。
八幡神を祀る神社は、八幡宮・八幡神社・八幡社・若宮神社などとも呼ばれています。
八幡社の数は、1万社とも2万社とも言われ、その規模は、稲荷神社に次いで全国2位なんですよ。
更には、全国の神社を祭神で分類した場合では、八幡信仰に分類される神社は、全国で一番多いそうです。
寛永年中(1624~1644年)14代正貞の代の時に、紀伊藩主の徳川頼宣が龍神村にお越しになるという御触れがあって、頼宣の逗留所が建設されたのですが、結局、その時の来郷は中止になってしまいました。
その当時の逗留所名が、上御殿・下御殿の名で、今までも残っている上に、現代においても営業が続いているんです。
上御殿・下御殿築造後からも、代々の藩主が入浴保養の施設として利用をしてきました。
紀州藩内には、19ヶ所もあったのですが、明治維新まで残っていたのは、僅かに5ヶ所だけだったんですよ。
上御殿は、保養や遊楽を目的に造られた御殿の中で、維新まで残った唯一の御殿だったんです。
旅館完成の後、徳川公は宿の管理を龍神家に命じたのと合わせて、屋号を上御殿と決めました。
上御殿に残る「御成りの間」は、徳川公の宿泊の際に使用された部屋であり、現在も当時のままで残っています。なんとその部屋に宿泊ができるので、お殿様気分に浸ってみてはいかがでしょう。
現在の上御殿当主は、頼氏より数えて29代目で、820年も続く歴史を今尚受け継いでいるのです。
下御殿のロビーでは、創業当時から受け継がれてきている、数々の骨董を見ることができます。
江戸時代より伝わる骨董や寄贈された書画など、数多くの貴重な品々が展示されていますので、こちらも必見ですね。
道の駅龍神(ウッディプラザ木族館)は、龍神温泉街からほど近くの場所にあって、清流・日高川沿いの道の駅で、高野山から高野龍神スカイライン(国道371号線)を走って約70分くらいで着きます。
龍神温泉だけでなく、白浜温泉や中辺路・本宮方面に行かれる方も、立ち寄ってみてください。
ウッディプラザ木族館のコンセプトは「龍」。龍神村の頭文字の龍をイメージに造られた木造建築です。
自然林の豊富な龍神村らしく、建物の主要構造部には樹齢350年の栂の巨木などを柱などに使用しています。
道の駅龍神(ウッディプラザ木族館)の裏には、清流日高川を渡る、丸木吊り橋がかかっています。
道の駅龍神(ウッディプラザ木族館)は、都会の喧噪からのがれて心と体を癒せる場所です。
龍神村ならではの美味しい食事やおみやげ物など、特産品が勢揃いしているんですよ。
豊富な自然に恵まれた龍神村の、農産加工品から木工品などは、全てが野・山・川の恵みに感謝と真心を込めて作りあげたものばかりで、紀州の選び抜かれた名産品を販売しています。
また、ウッディプラザ木族館では、四季折々の旬の食材を使った料理や、龍神村の自然水を使ったコーヒーを、木の香で溢れる館内や日高川に面したテラスで、のんびりといただくことができます。
開湯は約1300年前と、あまりに古い龍神温泉、源氏や平氏の伝説だけでなく、実際に伝説にちなんだ文化財も残っていて、その遺構や跡地に佇んでみると、当時のことが偲ばれてきます。
龍神温泉のある龍神村は、泉質の良い温泉と素晴らしい自然に恵まれた場所です。
ハイキングやトレッキングで自然を体中に感じるのも素敵ですし、清流の日高川での渓流釣も楽しいですね。
更には、自然の恵みを受けた食材も豊富で、素朴で美味しい食べ物がたくさんあります。
自然の中で、運動して・遊んで・食べて、その後は龍神のお湯でリラックス。素晴らしい休日が過ごせるところです。
ベトナムのホーチミン市に住んでいます。在住歴は6年半です。ベトナム人ばかりのローカル地区で、愛犬&愛猫と一緒に生活しています。大陸の風に吹かれて、のんびり自分らしくの毎日です。