- 住所:
- 長崎県長崎市上西山町18-15
- 電話番号:
- 095-824-0445
- 営業時間:
- 24時間
- 定休日:
- 無休
- アクセス:
- 諏訪神社駅から徒歩6分
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長崎の神社を案内します。異国情緒やキリスト教会の存在が目立つ長崎にも、日本古来の文化が認識できる神社がいくつかあります。パワースポットや御朱印情報をも含め、長崎のおすすめ神社を20カ所厳選。わかりやすいランキング形式で紹介します。
長崎といえば、江戸の鎖国時代に唯一出島という海外との出入口があったこともあり、異国文化が漂う雰囲気が観光の目玉です。また隠れキリシタンの文化も色濃く残っており、実際に歴史的な教会も大きな町から小さな町までいたるところにあります。
しかし、実は長崎には歴史を感じる神社が存在。記紀神話に関する古いものから、鎌倉時代の元寇由来のもの、あるいは明治以降に祀られたものもあります。そのような長崎のおすすめ神社を20カ所厳選して、ひとつずつ見どころを紹介します。
鎮西大社諏訪神社(ちんぜいたいしゃすわじんじゃ)は、長崎市内にある神社本庁の別表神社。創建は戦国時代1555年に京都の諏訪神社から分霊をもらって風頭山麓に奉祀した説と佐賀県の東松浦郡にある諏訪神社から勧請した説の二通りあります。
やがてキリシタン大名・大村純忠(おおむらすみただ)の時代にいったん破棄され、江戸時代になり再興。現在地は幕府により寄進されたもので、幕末に火災に遭たものの孝明天皇が勅諚を出し、明治元年に再建されました。
主祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)と八坂刀売神(やさかとめのかみ)の2柱。10月7日から9日までは例大祭の長崎くんちが行われる神社です。
縁起物は、安産守、健康守、交通安全守などがあります。正統派からかわいらしいものまでお好みで選んでください。また自宅に飾れる神棚、御神酒もご用意。おみくじもあり、大正時代に日本で初めてという英文みくじが引けます。訪日観光客に紹介するにはまたとない存在。おみくじの意味を考えることで英語の勉強にもなります。さらに受付で和訳を用意しているので、英語が苦手でも安心です。
壱岐住吉神社(いきすみよしじんじゃ)は、玄界灘に浮かぶ壱岐島にある神社本庁の別表神社。主祭神は住吉三神といわれる、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の3柱です。
社伝では海を渡って三韓征伐した神功皇后が、帰りに壱岐島に上陸して住吉三神をまつったことに由来。そのため日本初の住吉大社とされます。平安時代の延喜式神名帳で名人大社に列するなど、長崎県の筆頭大社のポジションを名乗ります。
神社の境内には文化財がいくつかあります。県や壱岐市の有形文化財、天然記念物に指定されているものなど。そのなかの天然のクスノキの中に夫婦クスノキというものがあります。これを男性が左回り、女性が右回りすることで、縁結びのご利益があるとか。ひっそりとした境内に強力なパワーを感じます。
12月には国指定の無形民俗重要文化財の「壱岐大大神楽」が奉納され、7・8時間かけて合計35もの演目が行われます。神々しい儀式を求めて参拝に訪れるのも良いでしょう。なお例大祭は11月9日に行われます。
宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)は、長崎佐世保にある神社です。主祭神は神功皇后で、勝村大神・勝頼大神を配祀し、日本一のしめ縄とされる福岡の宮地嶽神社から分霊して祀っています。
場所は佐世保の中心部から北側にあり、佐世保駅から徒歩で行くことも可能。小高い丘に境内があります。入口から境内まで階段を使い、本殿に行くためには、さらに朱色の階段を上ります。本殿は下から見るよりも大きい造り。参拝前にはお祓いをする必要があります。お祓い用の祓麻 (はらえぬさ)が供えられているので自分でお祓いして参拝しましょう。
宮地嶽神社の特徴は、おみくじの種類が多いことです。一般的な宮おみくじ、外国人用英文みくじ、ひらがなでわかりやすい子どもみくじなど、10種類以上のおみくじがあります。
半分以上は一般的なものですが、中には愛情運のものや教訓、花言葉、和歌が書かれたおみくじなど、ついつい引いてしまいたくなるものも。それほど高いものではないので複数チャレンジしてみるのも良いでしょう。御朱印もあり、それは本殿の下にある社務所でいただけます。また境内には針塚と書かれた石碑がひっそり立っています。
橘神社(たちばなじんじゃ)は、雲仙岳の西側にある神社です。創建は1940年、この神社の主祭神は地元雲仙出身の橘周太陸軍中佐。日本の陸軍軍人として日露戦争の首山堡の攻撃で戦死した橘中佐を軍神として祀ります。名古屋陸軍地方幼年学校長、東宮(大正天皇)侍従武官を歴任した功績がたたえられて創建しました。
境内には立花中佐の銅像が建ちます。また、神社の裏手は戦国時代の武将で、天正使節団として派遣された千々石(ちぢわ)ミゲルの父が城主を務めた釜蓋城(かまぶたじょう)の跡。そのようなこともあり、ミゲルの記念碑があります。
橘神社では、各種お祓いや祈願を受け付けています。また愛のパワースポットとして認定されていて、境内の手前にある軍人橋よりカップルで手をつないで本殿まで歩くと幸運が訪れるそう。勝ち運や恋愛運にご利益があり、また御朱印もいただけます。
桜が咲き誇る境内は、花見の名所としても人気。また、初詣のときには初めてギネス認定された巨大な門松が登場。長崎では諏訪神社に次ぐ参拝者数。このほか大寒の日に行われる大寒禊、花祭り・観桜火宴では、戦国時代に龍造寺氏を迎え撃つ島津を表現した行事などを行っています。
和多都美(わたづみじんじゃ)神社は、玄界灘に浮かぶ対馬にある神社。主祭神は彦火々出見尊(ひこほほでみ の みこと)と、その妻の豊玉姫命(とよたまひめのみこと)の2柱。神代の時代に海神である豊玉彦尊が、この場所に宮を作り海宮としました。その後、記紀神話に登場する山彦が3年間を過ごしたとされる竜宮に該当する場所とされます。
鳥居が海に向けて存在することで有名。さらに大潮の満潮時には鳥居を越えて社殿近くまで海水が満ちてきます。そして境内には、2柱の神の出会いに由来するような井戸や石などがあります。
歴史上では、平安時代の延喜式神名帳にその名が記録され、859年には清和天皇から新階(従5位上)を賜りるとあり、さらに1381年には従一位が叙せられます。また、地元の人も活用する渡海船に乗れば、海に出た鳥居とその先にある境内の様子が一目で見渡せます。
全国的にも珍しい三柱鳥居が2カ所もあり、神聖なる境内にパワーがみなぎっています。その鳥居のひとつの下にある磯良恵比須には、鱗状の亀裂。これはご神体という説と墓という説があり、現在のところ判明はしていませんが、強力なパワーを感じるスポットです。
諫早神社(いさはやじんじゃ)は、諫早市にある神社でかつては四面宮(しめんぐう)と呼ばれ、九州総守護と呼ばれていました。主祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、大己貴大神(おおなむちおおかみ)、少彦名神(すくなひこなおおかみ)の3柱。これに猿田彦神、八幡神、天満神、稲荷神などを合祀(ごうし)。さらに九州総守護の神々も祀っています。
歴史は奈良時代で、聖武天皇の勅願で行基が石祠を建てたのが創建とされます。以降は歴代領主の祈祷所としての役割を担い、神仏習合のパワースポットでした。
特に戦国大名龍造寺家晴は高い崇敬を持って神殿の再建や境内の拡充を図ります。明治以降は神仏分離令により、当時この場にあった荘厳寺は分離され、諫早神社に改称します。境内には創建者とされる行基が植えたとされる楠木が楠群として育っており、最も大きなものでは高さ25メートル、幹回りが8メートル近くあり神木として崇敬。1966年には6本が長崎県の天然記念物に指定されています。
神社にはいくつかの御朱印がありますが、頒布しているものの多くは、数量が限定されており、期間なども決まっているため、参拝前に公式ページで確認してください。
高城神社(たかしろじんじゃ)は、諫早にある神社で、場所は諫早公園の隣にあります。創建は1882年、1957年にあった諫早大水害で甚大な被害を受けたために、現在地に移築・再建されました。主祭神は龍造寺 家晴(りゅうぞうじ いえはる)と菅原道真の2柱。
家晴は龍造寺四家のひとつ。かつて伊佐早と呼ばれていた地名を諫早と改め、諫早家の初代となった人物。地元では「新宮(しんみや)」と呼ばれ親しまれています。また学問の神でもある菅原道真も祀っているため、合格祈願や学業向上のご利益があります。
境内には、大鳥居、大燈篭、狛犬などが並んであり、比較的新しい神社ながらも境内にはパワーがみなぎっているのがわかります。
また、神社よりも古くから存在している物に井戸があります。一説には、伊佐早の領主だった西郷 信尚(さいごう のぶなお)が、豊臣秀吉の九州平定に参陣しなかったために秀吉の命により家晴が攻撃し、その首をこの井戸で洗ったことから西郷井戸と呼ばれるようになりました。現在は当時の歴史を知る証人のように静かにたたずんでいます。
また参拝後は隣にある諫早公園にも立ち寄りましょう。園内には高城跡や眼鏡橋があります。
小茂田浜神社(こもだはまじんじゃ)は、長崎の対馬にある神社。創建は鎌倉時代の1274年です。主祭神は宗 助国(そう すけくに)。対馬の守護で元寇の文永の役の際に、蒙古軍と戦った人物です。1274年に蒙古軍3万の襲撃に会い、少数だったために全滅させられました。
蒙古軍が立ち去った後、助国らの首塚・同塚の祀が建てられました。それから70年余りたった1347年に、助国の子孫であった宗経茂が神領を寄進し宗家の祭祀としました。江戸時代には神門や石碑が建立され、寛永年間以降は毎年祭典を執行するようになりました。
明治以降も「国難事変に際して神威を顕し命を賭して戦い、平時においては国家の平和を護り給う」神として崇められ、大正時代には鳥居を新設。1974年には元寇700年記念碑が建立されました。
現在、祭典として、元寇の様子が再現された「鳴弦(めいげん)の儀」が11月12日に行われます。これは武者行列が浜まで歩き、沖合にいる蒙古軍に対して弓矢を構える儀式。また、「小茂田浜の歌」という石碑があり、永久に元寇襲来の様子が伝わるように歌として残したものです。ここは特に歴史に興味のある人には、ぜひ参拝しておきたい神社です。
温泉神社(うんぜんじんじゃ)は、雲仙温泉にある神社です。かつて「うんぜん」には「温泉」の字があてられていました。主祭神は白日別命(しらひわけのみこと)、速日別(はやひわけ)命、豊日別(とよひわけ)命、豊久土比泥別(とよくじひねわけ)命、建日別(たけひわけ)命の5柱。ご神体は活火山の雲仙岳です。
また、速日別の命以外は九州島の四国の別名とされ、四面宮とも呼ばれます。697年から701年にかけて行基がこの地に訪れて、大乗院満明寺を開山したときに、この神社も創建しました。
860年に温泉神として比定されました。伝説では元寇の際に、元軍の前に一身四面の勇士の姿をした神の化身が現れ、「吾は肥前国温泉社なり」と称したとされます。温泉地にあるので温泉に立ち寄った際に参拝したいところ。
社殿のわきには夫婦柿と呼ばれる2本の柿の木があります。樹齢は200年を越えるとされる、この柿にはご利益が。恋愛成就、子孫繁栄に効果があります。ただし、参拝方法が独特で、両手で柿の木を抱き下から上になでながら祈願します。そのあと、榊にて柿の木の横にある神水を体に浴びるというもの。少し恥ずかしさがあるかもしれませんが、旅の恥はかき捨てとばかりに挑戦してみましょう。
亀山八幡宮(かめやまはちまんぐう)は、佐世保にある神社本庁の別表神社。軍港の町としても有名な佐世保ではトップクラスの規模を誇ります。主祭神は八幡神こと応神天皇をはじめ、父・仲哀天皇、母・神功皇后、子・仁徳天皇に、日本書記にのみ登場する穀物の女神・保食神(うけもちのかみ)の4柱。
社伝によれば創建は天武天皇の時代で、神託があり大分の宇佐神宮から分霊を迎えました。以降佐世保の地に鎮座し続け、明治維新以降は海軍将兵の信仰を集めました。軍港佐世保の守護神でしたが、1945年の空襲により焼失します。
戦後に鉄筋コンクリート製で1964年に再建。また、この神社では、佐世保くんちと呼ばれる例祭が行われます。これは宮司が神馬に乗り、3台の神輿と獅子、奉納踊りなどによるお下り行列が佐世保市内を練り歩くもの。行列の最高峰には蛇踊りが披露されます。例年11月1日から3日まで行われるので、そのタイミングに佐世保に行くのも良いでしょう。
広い境内には、稲荷社などの摂社、末社も多くあるので数多くのご利益が期待できます。また社務所では御朱印や縁起物である各種御守りの授与が受けられます。
沖ノ神島神社(おきのこうじまじんじゃ)は、五島列島の北東・野崎島にある神社です。五島列島最古の神社です。主祭神は神島大明神(鴨一速王)、志々伎大明神(十城別王)、七郎大明神(七郎氏広王)の3柱。
歴史は704年にさかのぼり、小値賀島の地ノ神島神社から分祀して創建されました。当時盛んに行われていた遣唐使船の航路に近いことから遣唐使の安全を祈願する目的があったと推測されます。中世から近世にかけて別当寺として万福寺がありましたが、寺は明治の廃仏希釈により廃止となります。
20世紀までは隠れキリシタンを含め島に人が住んでいましたが、2001年に神社を護っていた神宮家が離島したため現在は常駐の管理者がおらず無人。島も事実上の無人島です。隣にある小値賀島の六社神社境内に遥拝所があり、六社神社の宮司が神事を引き継いでいます。
定期船が毎日島に入港しているため島に入ることは可能。港からは徒歩2時間半の距離にあります。ただし、ガイド無しの単独で向かうのは危険なので控えてください。また、拝殿の後背の部分に王位石(おえいし)という巨石の磐座が。原始祭壇の役目を果たしたとも伝わっていて、かつてはこの石の上で神楽が舞われたこともあります。
聖母宮(しょうもぐう)は、壱岐島にある神社です。長崎にはキリスト教の名残があるので聖母といえば、イエス・キリストの母マリアを連想しますが、それとは無関係。ここでは神功皇后が(聖母:しょうも)と呼ばれたことに由来します。
創建は717年と奈良時代から存在します。主祭神は息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)こと神功皇后、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)こと仲哀天皇と住吉三神の合計5柱。
伝承では、神功皇后が三韓征伐のおり、壱岐で風待ちをしているときに行宮を建てたのが始まり。717年に国家鎮護の目的で社殿が建てられ、正式に神社の創建となりました。
壱岐二の宮、あるいは福岡の香椎宮(かいしぐう)との接点などもあるとされます。本殿の建物の造りが特殊で、屋根以外の側面は覆いがあって雨風を防ぐようになっています。また馬蹄石というものが残っており、これは神功皇后が乗馬した際に残された足跡とされます。
元寇や豊臣秀吉の朝鮮出兵時にも関わりがあります。聖母宮の秋の例大祭は10月9日から5日間開催。翌年が大漁か豊作かを占う御神幸船行事は、選択無形民俗文化財です。最終日の重要無形民俗文化財の壱岐太神楽、あるいは翌日の勝本港祭など、このときは島が祭一色になります。
男嶽神社(おんだけじんじゃ)は、壱岐にある神社です。ここは非常に重要な神々がかかわった場所。最初に登場した天比登都柱(アメノヒトツバシラ)、月神である「月読命」(ツクヨミノミコト)の降臨の地とされます。かつては壱岐から柱伝いに天上世界に通じていたとされ、ここは非常に神聖なる場所。神社を含む男岳全体が御神体とされ、明治時代までは入山が許されませんでした。
創建時期は、はっきり分かっておらず、相当古くから信仰されていたようです。主祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)。導きの神といわれ、良縁にご利益があります。
現在神社には神職が常駐しており、神社の案内を行ってくれ、単独では入れないような場所にも案内してもらえます。特に拝殿の裏手にある御神体の岩はパワースポットとして注目。この場所は特殊な磁場になっており、方位磁石が誤動作します。磁石を持参して試してみるのも良いでしょう。また手に触れると不思議な力のようなものを感じます。
さらに境内には、主祭神の猿田彦にちなんで参拝者から奉納された猿の石像が数多くあります。その数は250を越えるとされています。見ざる言わざる聞かざるの石像もあり、ゆっくり眺めておきたいところです。
海神神社(かいじんじんじゃ)は、対馬の木坂にあります。対馬の国一宮で神社本庁の別表神社。主祭神は海神の娘で神武天皇の祖母とされる豊玉姫命(とよたまひめのみこと)1柱。祀神として彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、宗像神(むなかたのかみ)道主貴神(みちぬしのむち)、鵜茅草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の4柱。
かつては八幡神こと応神天皇も祀っていましが、明治政府によって主祭神を改めました。社伝では三韓征伐からの帰途に神功皇后が新羅を鎮めた証として旗八流を納めたことに由来します。
神功皇后が納めた旗は、後に神社の位置に移されてそこに社殿が建ちます。かつては八幡神を祀っていた経緯から中世の頃は八幡本宮と呼ばれていました。現在の社殿は1921年頃に建てられました。江戸時代までは弥勒堂があったため、神社内に仏像を保有しており、それは統一新羅時代作の銅造如来立像。国指定の重要文化財です。
伊豆山(木板山)の山中にあるため、長い石段を登る必要があります。境内には複数の摂社があるので、いろいろなご利益が期待できます。また近くには弥生時代後期の遺跡、山林は野鳥の森として文化財に指定されているので、参拝を兼ねてウォーキングを楽しみましょう。
亀岡神社(かめおかじんじゃ)は、平戸市の神社。場所は平戸城内にあります。主祭神は天照皇大神(あまてらすのおおみかみ)誉田別天皇(応神天皇)志自岐大明神(しじきだいみょうじん)、別七郎氏広命(わけのしちろううじひろのみこと:神功皇后の時代に平戸に入った伝説の武将)、そして歴代平戸松浦氏34代の祖霊を祀ります。
創建の由緒として1631年、ときの平戸藩主松浦棟(まつら たかし)が、4柱の祖霊を城内の霊椿山に祀ったことから始まります。明治以降は他の神社の祖霊と合祀(ごうし)し、1878年に社殿、その後現在の社名になり平戸の産土神として崇敬されています。
亀岡神社のご利益は多彩で、夫婦和合、縁むすび、交通安全、海上安全、開運、学業成就、家内安全など。いろいろな願い事を聞いてくれるため、観光で平戸に来た際に平戸城見学とセットで参拝したいところです。
境内には松浦藩主の姫君で、明治天皇の外祖母だった中山愛子の石像もあります。秋の例大祭は平戸くんちと呼ばれ、平戸の町を挙げて、食べ歩きやステージでのさまざまなイベントが行われますが、特筆すべきは平戸神楽の奉納。これは例年10月26日に開催され、国の指定重要無形文化財です。このタイミングで平戸観光に訪れるのがおすすめです。
金屋神社は、波佐見町にあり、位置関係は佐世保・ハウステンボスの東側に当たります。主祭神は金山彦神(かなやまひこのかみ)、伊弉諾神(いざなぎのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀ります。
創建は聖武天皇の時代に大和国金峯山の神をこの地に祀る勅が発せられ、橘諸兄(たちばなのもろえ)が勅使として本社創建に関わりました。時代が下り豊臣秀吉が、朝鮮出兵を開始する際に、軍船渡海の立願のため、小西行長を使いとして物品を寄進。社の境内にあった木を6本伐採し、渡航のための軍船の帆柱に使いました。
江戸時代には思わぬ災難に遭います。江戸の寛永年間にキリスト教の弾圧が激しくなったことが影響し、キリシタンが神社に乱入して焼き討ちを行います。ご神体は唐林寺に逃れ、その後須古の金谷坊に鎮座。江戸の文政年間に戻りました。また社殿は大村藩により復元され、このときに英彦山の神を祀りました。
宝物としていくつもの古文書を所有。杉の大木やイロハモミジの古木がある境内から奥に山の中を進むと奥御殿があります。そこは自然があふれた聖域。強力なパワーがみなぎっています。
浦田観音・浅間神社は、南島原市にある神社。かつては近くに島原鉄道の浦田観音駅がありました。戦国時代のキリシタン大名有馬晴信の子が誕生したときに、乳不足だたために家臣が観音菩薩の祠をつくり祈願します。すると乳が出たことから、安産のご利益があるということで祀られます。
すぐ近くに島原の乱の原城があり、その関係で破壊されましたが、乱の後、再興されました。島原の乱で幕府軍が、日向の金堀坑夫に甬道(ようどう)を掘らせた記録があり、神社の境内石段脇にその名残があります。
神社の鳥居と観音菩薩という神仏習合の形式が残っている神社は、常駐の管理者がいない無人状態。石で囲まれたところに本尊の観音像が安置されています。安産とその後の乳出のご利益を求める多くの女性が参拝しますが、普段は静かな雰囲気です。
原城が鼻の先にあるので、セットで回りたいところ。境内には、浅間神社のほか原城稲荷大明神もあります。現在は鉄道がないので主に車でのアクセスとなりますが、周辺には原城の他、天草に渡るフェリーが発着する口之津も近いです。
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